「河和、そんなに点字に神経質になるな!」
私が盲学校の高等部1年のとき、地理の授業中に教員から言われた言葉である。私は腹が立ったが、点字ができない教員に何を言っても無駄だろうと感じて、それ以上反論する気にもなれなかった。それどころか、自分の中で「さっさと普通高校に飛び立とう」と考え始めた。
私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使用している。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、主に左手と左足が動かしづらく、外出時には車椅子を利用し介助者を同伴している。
そんな私は2歳で普通保育園に入園した。小学校は盲学校で視覚障害を補うための教育を受けつつ(点字や視覚障害者用補助具の活用方法等)、地元の普通小学校に通級し、 障害者と健常者が対等にコミュニケーションをとるためのスキルを習得した。
中学は一般の学校で学んだ。そのまま一般の高校で学びたいという気持ちがあり、都立高校を受験したが不合格になり、滑り止めに受けた盲学校に入学が決まった。
私は普通高校に受からなくても落ち込んでいなかった。むしろ「盲学校に入ったのなら、中学で落ちた点字の読み書き技術を上げ、大学受験できれいな答案を書けるようにする」という目標を掲げ、気持ちを切り替えていた。
ところが入学してみると、点字の読み書きができない教員がゴロゴロいたのだ。私に「点字に神経質になるな!」と言った教員もその一人だったのである。
「お母さん、俺、普通学校に入り直す!こんなレベルの盲学校で勉強しても無駄だし、物足りない!」夕食のときに母に話すと、母は「あなたが望むならいいわよ。私も旦の言う通りだと思うから」と、あっさり承諾してくれた。
母は私には「できないことはない」と信じてくれていた。現に私が普通中学校でよい友人関係を作りながら、試験の点数は悪くてもなんとか授業についていけていたことを知っていた。
母は私が盲学校に入学するとPTAの役員として東京都の教育委員会に、点字のできる教員を盲学校により多く配置してほしいと要望してくれたが、それでも状況が改善される気配はなかった。
私の能力を信じて10ヶ月で盲学校を自主退学して、普通高校に再入学することを認めてくれた母に、とても感謝している。
このエッセイについて
このエッセイは、SNSで好感度が上がる文章の書き方サロン「ふみサロ」ののレクチャーを受講する際に作成した物です。
ふみサロでは毎月課題図書が与えられ、課題図書を題材にエッセイを書きます。
今回の課題図書は、ふみサロでご一緒している添田衣織さんが書かれた子供と一緒に飛び発とう! 親子留学のすすめという作品でした。
本書の「第3楽章(アニマート)子育て、子供の教育こそが親の崇高な仕事」の中の「できない!ということは何もない!を伝えること 」からインスピレーションを得て書きました。
追記
「ふみサロ」は、元角川出版編集長の城村典子先生がメイン講師を務められ、女性起業ブランディングの専門家、ブランディングプロデューサーの後藤勇人先生がゲスト講師を務められています。
そして、2チーム性(城村チーム、後藤チーム)に別れて、受講生の作品の合評絵画行われるのですが、今回私は、後藤チームの合評会のファシリテーターを務めさせていただきました。
エッセイでもご紹介したとおり、私には重度の視覚障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使っています。
そうした状況でもスムーズに進行できるよう、あらかじめ点字の原稿を準備して望みました。
こういうときに点字プリンタや点字ディスプレイなど、点字に関わる道具が使えると便利だと、あらためて実感しました。