鉄道の音と私

 私にとっての「夏の音」といえば、小学生時代、夏休みの家族旅行で乗った電車の音である。特に私にとって「音」は特別な意味がある。

 私には視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害がある。
肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、外出時には車椅子を使っている。

 私はものごころついたころから「鉄道オタク」だった。私は鉄道オタクのなかでも、「音鉄」(おとてつ)と呼ばれる、電車の走行音を聴いて楽しむオタクである。少なくとも幼稚園生の頃、盲学校に通い始めた頃から電車の走行音(モーター音)が車種ごとに違うことに気づいて、まだコンコースにいるのにホームに入ってきた電車の音を聴いて車両形式を言い当てたり、どこ駅の何番線の発車ベルはどんな音だったかを覚えることができていたほどのオタク少年だった。ちなみに大人になった今でも、鉄道オタクである。

 そんな私の夏休みの楽しみと言えば、「旅行に行くとき、どんな電車に乗れるのか」だった。ただ電車に乗るだけでは飽き足らず、ポータブルテープレコーダーで電車内やホームの音をひたすら録音し、後から録音した電車の音を聴きまくって楽しんでいた。

 ここまでどっぷりと音鉄になったのは、なぜだろうか。その理由は、私が視覚情報を使えないというハンディを補うため、聴覚情報を頼りにして行動しているからだと考える。

 そして、小学生時代は盲学校に通うために電車通学をしていた私が、なぜ夏休みの旅行先で乗る電車の音を聴いて楽しんでいたのだろうか。単純に、いつも聴けない電車の走行音が聴けて嬉しかったからだと思う。特に有料の特急電車はめったに乗らないので、
「ご乗車の際は、普通乗車券の他に特急券が必要です」
などの案内放送が、いつもとは違う特別な空間にいるような雰囲気を醸し出しているように感じたのかもしれない。

 この本に登場する、電車で旅行しているシーンをきっかけに、自分が幼い頃から、どのように音と向き合ってきたのかを考えるきっかけを見つけられた。


このエッセイについて

このエッセイは、SNSで好感度が上がる文章の書き方サロン「ふみサロ」の8回目のレクチャーを受講する際に作成した物です。

今回読んだ本

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