視覚障害者がアート作品を鑑賞するために必要なこと

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使用している。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、主に左手と左足が動かしづらく、外出時には車椅子を利用し介助者を同伴している。

重度の視覚障害がある私にとって、絵画について語ることは、とても難しい。絵を観ることは、視覚的な要素が多いからだ。

視覚障害者は目から情報を入手できないので、視覚以外の感覚を総動員して、自分の周りで起きている出来事を把握するしかない。具体的には聴覚や触覚、嗅覚などを駆使して得た情報から、何が起きているのかを推定する。

例えば、バンクシー氏、自転車で新作|TBS NEWSというウェブサイトの記事の中に、次のような説明文がある。

壁の前には後輪が無い自転車があり、少女はそのタイヤをフラフープ代わりにして遊んでいます。

私はこの説明文を聞いて、バンクシーが描いたであろう情景を頭の中でイメージするのである。

私たち視覚障害者が美術館で絵画を鑑賞しようと思えば、晴眼者(せいがんしゃ)(目が見える人)にどのような景色なのか言葉で説明してもらったり、触れる物には触って、その形を理解できるような配慮が必要になる。

College Women’s Association of Japanでは年1回、Hands-On-Artという、視覚障害者向けの現代版画展を開催している。版画の立体コピーが準備され、ガイドボランティアが版画の情景を説明してくれる。

江戸東京博物館では、バリアフリーの取り組みがなされている。視覚障害者向けの点字ガイドブックを借りられるとともに、「手で見る展示」コーナーが常設されている。

手で見る展示コーナーでは 「日本橋」や「中村座」、「神田明神の山車」など建築模型や大型模型のミニチュアを触ることができるうえ、江戸指物の木を削る音や、手回し蓄音機の演奏を聞くことができる設備(専用の受話器)が用意されている。

視覚障害者がアート作品を鑑賞するためには、さまざまな工夫が必要だ。しかし、視覚障害に対応する設備がある美術館や博物館はとても少ないのが残念である。


このエッセイについて

上記のエッセイは、オンラインエッセイ教室「ふみサロ」の合評会に提出する際に作成した物です。

「父滅」でも、物足りなさを感じなかった理由

私は母子家庭で育ったのだが、父親がいなくても「物足りない」と感じることがなかった。

父と母は、「子供が生まれたら、結婚しよう」と決めて、妊活を始めた。ところが、私が仮死状態で生まれ、かつ生後3日で肺炎を患い、危篤状態になった。このとき主治医は父に
「息子さんに80%の確率で、身体障害が残ります」
と宣告した。その事実を知った父方の両親は、母との結婚を認めなかったのだという。
それでも母は「これで、この子を私が自由に育てられるわ」と思ったそうだ。

小学5年生のときに、母から父のことを聞かされ、
「あなたが望むなら、お父さんに会わせてあげるけど、どうする?」と言われた。私が「お父さんはどうしてるの?」と聞くと、「もしかしたら結婚して、子供がいるかもしれないよ。」と母は答えた。それを聞いて、私は
「ふ~ん。それならどうせ、他人なんでしょ。だったら会わなくていいよ。」と言って、会わなかった。そこまで私は、父親がいないことに違和感をもたなかった。

どうして私が、「父親不在」であっても、物足りないと感じなかったのだろうか。これまでの生活を振り返って、母が父性を持ち合わせた性格だったことと、祖父母が母性を持ち合わせた性格だったからだということがわかってきた。

子供のころ、私の母は常識的にしてはいけないことをすると、父親のごとく「いけない!」「やめなさい!」と制したり、ときには、身体をたたいたりして、一括された時もあった。そのあとで、なぜ、叱ったのかを説明して、子供が納得するようなしかり方をしていた。

祖父は、定期的に聖路加国際病院に通院していた。通院の帰りには、わざわざ銀座三越まで行って、私が好きな冷や奴を買ってきてくれた。

「旦(ただし)の大好きな冷や奴、買ってきたぞ。」
と言いながら、私がおいしそうに冷や奴を食べているところを見るのが好きだったようだ。悪いことをして叱る母と対照的に、祖父母は無条件に甘えさせてくれた。

結局、「父滅」という状況でも、社会に適応できる人とできない人がいるというのは、子供時代に父親や母親と同じ役割の大人と出会えるかどうかで決まるのかもしれない。


このエッセイについて

上記のエッセイは、オンラインエッセイ教室「ふみサロ」の合評会に提出する際に作成した物です。

ふみサロでは、毎回課題図書が与えられ、与えられた本を題材にしたエッセイを書きます。

今回の課題図書は、樺沢紫苑著「父滅の刃~消えた父親はどこへ アニメ・映画の心理分析~」でした。

今回は、自分が母子家庭で育ったにもかかわらず、物足りなさを感じなかったため、何を書いてよいかわからない状態からスタートしました。

そこで、今まで家族とどのように過ごしていたかを振り返りながら、エッセイ形式にまとめました。

自分へのお・も・て・な・しで、ポジティブに!

 「頑張っている自分に対し、時にはご褒美をあげましょう」

 私はこの一文を読んで、ドキっとした。(もしかして、自分はご褒美をあげないぐらい、ガンバリ続けすぎてたのか?それじゃ、仕事だって楽しくないよな。)そんな、心の声が聞こえた気がした。

 どうして、私はそこまで自分を追い詰めてしまったのかというと、よい結果を出そうと、自分を厳しく律しすぎたからかもしれない。

 私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目に重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使っている。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害により、外出時には介助者を同伴し、車椅子を使っている。

私は2013年に目が不自由な方むけのパソコン教室を立ち上げた。

大学卒業後、2009年の秋から就職活動をしていたのだが、結果は惨敗だった。

公務員採用試験では、障害者採用枠であっても「自力で通勤でき、介護者なしで職務遂行が可能なもの」、「活字印刷文による出題に対応できるもの」が受験資格とされていた。民間企業の面接でも、「一人で通勤できますか?」と必ず聞かれた。

私はこんな就活戦線で戦っているうちに、「仕事は、歯を食いしばってやらなければ結果は出ないもの。何が何でも、健常者と同じパフォーマンスで、仕事をこなしてやる!」と言い聞かせ、「障害を言い訳にしないよう、【仕事には厳しく】をもっとうに、取り組む」と心に決めてしまったのだ。

 「自分の体や心をもてなすことができてはじめて 人として輝くことができるのです。」

この言葉にハッとさせられた。

後藤先生とご一緒していると、いつも先生の声が楽しそうに聞こえる。その秘密は、ポジティブな自分を作れるようにする習慣を作っていらっしゃるからなんだなと感じた。

私は、後藤先生のように「まず自分がポジティブな気持ちになり、クライアントの心も元気にするべく、仕事をする」を、これからの目標にしようと決めた。

今回読んだ本

これからの医療体制に期待すること

「うわあ~、河和さんの歯、虫歯が1本もないし、治療痕もどこにもありませんね!!素晴らしいですね!!」

6年前、白内障の手術を受けるのに麻酔科の予診を受けたとき、看護師がとても興奮しながら、私の歯を診てくれた。それどころか、麻酔科のドクターまで呼んできて、「河和さんの歯、素晴らしいですよ!虫歯も治療痕も1本もないんですよ」と言っていた。

私は褒めてもらえて嬉しかった一方で、「もっと短時間できれいに歯磨きできたらよいな。でも、歯磨きが雑になったら意味がないし…」と思ってしまった。どうして私はそのようなことを考えてしまったのか。

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目は重度の視力障害と視野障害がある。肢体不自由障害の程度は、脳性麻痺による運動機能障害により、外出時には車椅子を使っている。

私にとっての課題は、肢体不自由の影響で、歯ブラシを上手に動かすのが難しいということだ。

介助者なしでも歯ブラシを動かす動作自体は可能なのだが、手の筋肉が過剰に緊張するので、歯と歯茎の間を磨くなど、手先を細かく動かす作業が難しい。このため、介助なしできれいに歯を磨くと、30分ぐらいかかってしまう。電動歯ブラシも試したが、同じ所にブラシを当てすぎてエナメル質が削れてしまったので、使うのを止めた。

肢体不自由者の口腔ケアをしっかりと行うためには、どのようなサポートが必要だろうか。

そのためには、障害者がクリニックに通いやすくする施策を拡充してほしいと思っている。

昨年、区民検診のために訪れた歯科クリニックは、待合室と診察室の間に段差が一段あったが、スタッフが車椅子用スロープ板を渡して、サポートしてくれた。このようなサポート体制が整ったクリニックが、もっと増えてほしいと感じている。本音を言えば、歯科だけでなく、内科系のクリニックのバリアフリー化にも力を注いでほしいと願っている。

「想定外をつぶすことの大事さ」というエッセイでも紹介したとおり、介護ヘルパーの中には外出介助が苦手な人もいる。介助者が高齢化している等で、障害者を車椅子から診察台に移動するときに障害者を支えきれない、ということも起きるかもしれない。

障害者本人、介助者双方の負担を軽減させるため、ソフト面、ハード面ともにバリアフリー化された病院が増えることを期待したい。

今回読んだ本

視覚障害者が克服すべき課題【文字処理について】

昨日は私が通っている文章書き方教室「ふみサロ」の定例会でした。

ふみサロでは、毎月課題図書が与えられ、課題図書をテーマにエッセイを書きます。

今回の課題図書は、甲斐ナオミ先生が書かれた、「ネイティブの“こども英語” で 通じる英会話【無料音声付き】」です。

本来は英会話をテーマにすべきなのでしょうが、この本の点字化が間に合わなかったときに備えて、私が英語学習で躓いたときの経験を、エッセイにまとめました。

英語点字学習を通して、視覚障害者の文字処理能力について考える

私は、気がついてみたら英語に苦手意識を持ってしまった。中学生~高校2年生までは英語が得意科目で、高校2年で英検準2級まで合格できた。

ところが、英検2級の勉強に入る時点で、「英語スランプ」状態になってしまった。その状態からいまだに脱出できていない気がする。それはどうしてか、自分なりに考えて、導き出された仮説は、点字を使用する視覚障害者が直面する、文字処理に起因する課題ではないかと考えた。

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害がある。日常の文字の読み書きに点字を使っている。肢体不自由の程度は脳性麻痺による運動機能障害のため、外出時には車椅子を使っている。私はこのような障害を抱えながら、小学校は盲学校に通い点字や視覚障害を克服する教育を受けながら定期的に(週1回~学期に1回)地元の小学校に通っていた。中学、高校、大学は一般の学校で学んでいた。

一般学校で学ぶ中で苦労したのが、点字の表記法と、墨字(すみじ)(通常の活字)の表記法の違いを理解することだった。特に英語には、初心者向けの1級点字(grade 1)と刊行物等で用いられている2級点字(grade 2)があり、日本の盲学校教育では中学卒業までに原則2級点字を習得することになっている。このため、英検3級以降の点字問題は2級点字で出題される。

2級点字とは、点字の読み書きを素早く行うために単語の一部または全部を省略する記法である。例えばYou can do it. を2級点字で書くと、Y c d x. となる。

一般の学校で学んでいた私は、学校の英語の試験では点字を知らない晴眼者(せいがんしゃ)(目が正常に見える人)の先生に墨字の答案を書くために、1級(フルスペル)を覚えなければならなかった。なおかつ点字教科書や公的な試験(英検や高校、大学の入学試験)の英文を読むためには2級点字の略字のルールを覚えていなければいけなかった。

私は学校で英検2級合格に向けて、先生から補習授業を受けていたとき、1級点字と2級点字の表記上のルールの差で混乱してしまった。

学校のパソコンでは2級点字で辞書が引ける環境ではなかった(普通高校にいたので、盲学校のように点字の辞書がなかった)。ところが教科書と試験問題は2級点字の略字で書かれている。そのため先生に、「辞書でわからない単語を調べてみなさい」と言われても、先生の前でフルスペルを思い出せず、辞書を引けずにフリーズしてしまったのだ。たとえばnecessaryという単語を2級点字にするとnecになる。点字の分を読んでいるのでnecが「ネセサリー」だとわかるのだが、肝心のフルスペルnecessaryを思い出せないので、辞書を引けなかったのである。

ICT機器の活用により、視覚障害者と晴眼者の垣根を越えてコミュニケーションが可能になった。だが、点字を使う視覚障害者には、点字と墨字の両方を使いこなすスキルが求められる。そのために一般の学校、盲学校、視覚障害者向けの職業訓練校や就労支援センター、障害者向けのパソコン教室などで、視覚障害者の文字処理能力を養うカリキュラムを充実させることが必要だと考える。

今回読んだ本

もっとバリアフリーな施設作りを

障害があっても、のんびり温泉に入りたい。そのように考えている障害者は多いと思う。
しかし、実際は宿泊施設や入浴施設のバリアフリー対応が十分でないために、旅行や入浴施設の利用を諦めてしまうケースがある。

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、文字の読み書きには点字を使っている。肢体不自由の程度は脳性麻痺による運動機能障害により、左手と左足が不自由である。そのため車椅子を利用し、介助者を同伴して外出している。

小学生時代は、学校の長期休みに盲学校に通っている幼なじみの家族同士で集まって、温泉旅行に行ったり、夏休みにプールに遊びに行ったりしていた。小学校低学年の頃は母親の介助で大浴場に入ることができていたが(親子とも女性用浴場を利用)、小学5年頃になると、さすがに男性の障害者を女性の浴場に入れて介助するのは難しいという話になった。

ホテルの従業員に母たちが、「視覚障害や肢体不自由の息子たちと泊まるのですが、息子たちが大浴場に入るときに、介助をお願いできませんか?」と交渉しても、「介護経験があるスタッフがおりませんので、万一息子様がけがをされた場合に責任がとれません」と言われ、介助を断られてしまった。

そこで、母子家庭の我が家のために、友人のお父さんに、わざわざ仕事を休んで旅行の介助に来てもらった。家族用に貸し切れない入浴施設では、障害者と同性の介助者が確保できないと、このような困りごとが発生するのである。

大学2年生の夏休み、私は家族旅行に行った。いつもは別荘でのんびりするのだが、そのときは温泉に入りたい気分になった。そこで伊豆熱川の貸し切り露天風呂がある日帰り温泉に行った。前述のとおり、私の家庭は母子家庭であるため、必然的に介助者が異性になるからだ。

家族向けの貸し切り露天風呂があるのはありがたいと考えて、いざ温泉に向かった。ところが…、残念ながらその考えが甘かった。露天風呂の貸し切り時間が1組40分ほどに設定されていて、温泉でのんびりしている余裕がなかったのだ。初めて使う入浴施設なので視覚障害と肢体不自由がある私には更衣室の脱衣かごの場所がわからなかったり、座り慣れていない着替え用の椅子ではバランス(座位保持)を保つことが難しかったり、浴槽の段差や躓きそうな物を目で見られないので慎重に歩いたりしたので動作に時間がかかり、温泉でまったりする精神的な余裕がなかったのだ。

宿泊施設でも、バリアフリー化に力を注いでいる所は少しずつ増えてきている。ホテルや旅館の一部ではユニバーサルルームなどの名称で、車椅子で過ごしやすい広いスペースを確保し、入り口のドアも引き戸、ユニットバスも車椅子対応に広くなった部屋もある。

京王プラザホテルに泊まった全盲の友人からは、「バスアメニティを触って区別できるようにシャンプーには輪ゴムを2本、コンディショナーには輪ゴムを1本、ボディソープには輪ゴムを付けないという風にしたうえで、ボトルの蓋に点字シールも貼ってくれたよ。それから、ビュッフェスタイルの食事のときに、スタッフさんが料理の取り分けを手伝ってくれたので、スタッフさんには申し訳ないなと思いつつも、楽しく食事ができたよ。」という話を聞いた。

このような障害者対応のサービスは、障害者本人のためにも、介助者の負担を軽減させるためにも、もっとたくさん必要だと感じている。

このエッセイについて

このエッセイは、SNSで好感度が上がる文章の書き方サロン「ふみサロ」の10回目のレクチャーを受講する際に作成した物です。

今回読んだ本

障害者が直面する壁

はじめに

 3月26日、SNSで好感度が上がる文章の書き方サロン「ふみサロ」の定例会に参加しました。

 今回は芥川龍之介の短編小説『白』を題材に、エッセイを書こうというお題でした。

 障害のある人が健常者と同じ結果を出すために、過剰なエネルギーを要求されてしまうことについて、エッセイにまとめてみました。


障害とパフォーマンス

 障害者が健常者と同じ結果を出すために、ものすごいパフォーマンスを発揮し、努力を要求されてしまうことがある。まるで、主人公の白が茶色い犬を助けたときのような猛烈なエネルギーを投入しているようなイメージである。

 私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使っている。肢体不自由の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、主に左手と左足が不自由である。そのため、外出時には車椅子を使っている。

 私は10年前に大学院の入試を受けたとき、猛烈なパフォーマンスを要求される経験をした。大学の学部を卒業した後、半年間の浪人生活を経て、首都大学東京(東京都立大学)大学院 人文科学研究科 社会行動学専攻 社会福祉学教室の入試を受験した。冒頭でも書いたように、私には視覚障害(点字使用)と肢体不自由障害がある。そのため、点字の問題文を用意していただくとともに、試験時間を健常者の1.6倍に延長してもらって受験した。この結果、4時間50分に及ぶ英語の筆記試験と4時間10分ほどの社会福祉学の専門知識科目の筆記試験を受験することになった。

 試験当日は結果を出して合格したいという思いが強かった。気合いを入れて試験に臨み、体力が持たなくなってしまったのだ。

 当日のスケジュールは8時30分に控え室に集合、9時から13時48分まで英語、14時40分から18時16分まで専門知識科目の試験という、長丁場の試験だった。

 試験時間が長かったことによる疲労感と英語の試験の後半から肢体不自由障害に伴い手足の筋肉が過剰に緊張して強い力が入り続けたことが重なり両肘がしびれ、指先の感覚がなくなり、点字の問題文を読むのが難しくなった。それでもなんとか、できる限り答案を書こうと努力したが、専門知識科目の試験が終わって、試験室から出たときには、ヘトヘトだったのを覚えている。

 試験の結果は残念ながら不合格になってしまった。だが、精一杯努力して不合格になったので、自分の目標はある程度まで達成できたことにして、次の進路を考えることにしたのだ。

 バリアフリーの意識が高まるなど、障害者に対する理解は進みつつある。だが一方で、一般企業や一般学校に障害者が在籍している環境で、健常者と同じ結果を出そうとして、疲弊してしまう障害者がいることも事実なのだ。

 私は、ここまで障害者が無理をせず、のびのび生きていける社会が実現してほしいと願っている。そのために、私はこのブログ等で障害者がおかれている現状などを紹介したり、私自身の体験をアウトプットしたりして、少しでも障害があるご本人や、支援者の方に役立つ情報をお届けするなど、少しずつ活動していきたいと考えている。

鉄道の音と私

 私にとっての「夏の音」といえば、小学生時代、夏休みの家族旅行で乗った電車の音である。特に私にとって「音」は特別な意味がある。

 私には視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害がある。
肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、外出時には車椅子を使っている。

 私はものごころついたころから「鉄道オタク」だった。私は鉄道オタクのなかでも、「音鉄」(おとてつ)と呼ばれる、電車の走行音を聴いて楽しむオタクである。少なくとも幼稚園生の頃、盲学校に通い始めた頃から電車の走行音(モーター音)が車種ごとに違うことに気づいて、まだコンコースにいるのにホームに入ってきた電車の音を聴いて車両形式を言い当てたり、どこ駅の何番線の発車ベルはどんな音だったかを覚えることができていたほどのオタク少年だった。ちなみに大人になった今でも、鉄道オタクである。

 そんな私の夏休みの楽しみと言えば、「旅行に行くとき、どんな電車に乗れるのか」だった。ただ電車に乗るだけでは飽き足らず、ポータブルテープレコーダーで電車内やホームの音をひたすら録音し、後から録音した電車の音を聴きまくって楽しんでいた。

 ここまでどっぷりと音鉄になったのは、なぜだろうか。その理由は、私が視覚情報を使えないというハンディを補うため、聴覚情報を頼りにして行動しているからだと考える。

 そして、小学生時代は盲学校に通うために電車通学をしていた私が、なぜ夏休みの旅行先で乗る電車の音を聴いて楽しんでいたのだろうか。単純に、いつも聴けない電車の走行音が聴けて嬉しかったからだと思う。特に有料の特急電車はめったに乗らないので、
「ご乗車の際は、普通乗車券の他に特急券が必要です」
などの案内放送が、いつもとは違う特別な空間にいるような雰囲気を醸し出しているように感じたのかもしれない。

 この本に登場する、電車で旅行しているシーンをきっかけに、自分が幼い頃から、どのように音と向き合ってきたのかを考えるきっかけを見つけられた。


このエッセイについて

このエッセイは、SNSで好感度が上がる文章の書き方サロン「ふみサロ」の8回目のレクチャーを受講する際に作成した物です。

今回読んだ本

今ある持ち手で、どうするのか

前回のブログで「視覚障害者なりの『やることリスト』管理法」を紹介し、私が通っている文章書き方教室で、この記事の元になった原稿を発表した。

 

そのときに、ブランディングプロデューサーの後藤勇人先生から、「河和さんはほしい結果を出すために、自分の今ある持ち手でどうするのか、という発想をするのが素晴らしいですね」という、コメントをいただいた。

そこで、そのような発想をするきっかけとなったことは、何なんだろうと考えてみた。

 

小学 3年生のとき、盲学校で私の担任だった先生がこんなことを言っていた。

「君たちはできないことが多くあるように感じるかもしれないけれど、工夫次第でできることは増やせるよ。目で見ることが難しければ手で見る、耳で見る、足の裏で見るというようにいろいろな方法で見るという考え方を持ちなさい。」

私は当時、この考え方はとても衝撃的に感じたことを覚えている。理由は簡単で、「見る」といえば目で見ることだと思い込んでいたからだ。

結果的にこの先生の教えが今の私の行動につながっているのだと思う。

障害を負った人は、いかに残された身体機能を使って、ないものを補うか考えられるかがポイントになる。

例えば普通の文字(墨字)が読めなければ点字を使ったり(=手で読む)、パソコンやスマートフォンの読み上げ機能を使ったり(=耳で読む)すればよい。

身体に障害があって、立って歩けなければ車椅子や歩行器という道具を使って歩けばよいのだ。実際に車椅子利用者のことを「チェアウォーカー」と呼ぶ人もいる。

上のような発想で、私たちは生活しているし、社会にもそういう発想がもっと浸透していってほしいと思う。