画面読み上げソフト利用者に扱いやすいZoomの環境設定

こんにちは。視覚と肢体不自由の障害を持つIT先生 「目が不自由な人のSNS参入サポーター」こと 河和旦です。### 画面読み上げソフトで、Zoomを使いやすくする設定{#topic}Zoomでミーティングを始めると「Zoom ミーティング」というタイトルの画面が開き、ここにテレビ電話の画面が表示されます。また、Altキーを押すとZoomメニューが表示されます。Zoomメニューが表示されたらTabキーを押すと、メニューを移動できます(Shift+Tabキーで逆順に移動できます)。Zoomメニューではマイクのオン・オフやカメラのオン・オフ、チャットを表示などさまざまなことができます。ただし、Zoomメニューを表示させるためにAltキーを押すのが面倒なかたもいるかもしれません。そんなときは、下記の設定を行っておくと便利です。1. Alt+Tabキーで、「Zoom」ウィンドウに切り替えます。2. Ctrl+Tabキーで「ホーム」タブに切り替えます。3. Tabキーで「設定」のボタンに移動してEnterキーを押します。4. Tabキーを1度押し、上下カーソルキーで「一般」に移動してEnterキーを押します。5. Tabキーで「ミーティングコントロールを常に表示」のチェックボックスに移動し、チェックがなければSpaceキーを押してチェックを付けます。6. 手順5までできたら、「設定」画面は、Alt+F4で閉じてかまいません。ご参考になさっってください。

障害を隠すことって、本当に必要?

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使用している。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、主に左手と左足が動かしづらく、外出時には車椅子を利用し介助者を同伴している。

私たちがよく遭遇する親子関係の課題に、障害児の親(または親戚)が、子供の障害を隠したがったり、障害児者に過干渉になりやすいということがある。

その理由として、「障害者は社会の迷惑」であるという社会常識が未だにまかり通っていることや、「家族の職業上の体面」が影響しているという(原,増田, 2016)。

だが、障害がある家族の存在を隠しても本当によいのだろうか?

私は母から、母の叔父が祖母に対して「旦が盲学校に行っていることを話すな」と言っていたと聞いたことがある。母は、障害児が障害児のみのコミュニティで育つと、障害者が健常者の考えを理解できなくなると考えて私を2歳から普通保育園に入れた。当然、母の叔父に止められようが堂々と私のことを話していた。

一方、私の全盲の後輩が、お父様の職業的な対面上、子供の障害を公表しがたい状況におかれていたようだ。

私は後輩から、「父に『大学の授業がないのなら、門限は午後3時だ』と言われ、友人とも遊ばせてくれない」と聞かされた。

後輩の話を聞きながら、私は心の中でこんな風に叫んだことを覚えている。「お父さんが世間体を気にすることはかまわないが、この子(後輩)が社会で自立できなくなったらどうするの!?」と。

親御さんの中には、障害を持つ子が親のいないところで他人に迷惑をかけていないか気になるという方もいるかもしれない。実際に障害がある人は、さまざまな場所で健常者の助けを借りることが多い。そのような状況を否定的に捉えたくなる気持ちも理解できる。

しかし、私は家族が障害者の存在を隠すことはよくないと考える。

人は、だれでも得意なことや苦手なことがある。であれば、障害者も自分でできることや、援助が必要なことをしっかり発言してもよいはずだ。今健常な人も、突然重篤な病気にかかり、障害を負うかもしれない。

障害者=迷惑な存在という考えが当たり前にならないときが、早く訪れてほしいと願うばかりである。

参考文献
原 恵美子,増田 樹郎(2016).「知的障害者とその家族への支援に関する一考察(2)-知的障害者の母親の語りを通して-」『障害者教育・福祉学研究』12,(3). pp. 69~79.

このエッセイについて{#about}

上記のエッセイは、オンラインエッセイ教室「ふみサロ」の合評会に提出する際に作成した物です。

ふみサロでは、毎回課題図書が与えられ、与えられた本を題材にしたエッセイを書きます。

今回の課題はアドラーに救われた女性たち (親子関係・夫婦関係に悩むあなたへ) | つるたえみこでした。

障害があるからこそ、地域の防災訓練に参加しよう!

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使用している。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、主に左手と左足が動かしづらく、外出時には車椅子を利用し介助者を同伴している。私はほぼ毎年、地元の防災訓練に参加している。 防災訓練に参加することで、私たち障害者は災害時にどのような援助が必要か理解できる。そのうえで、周囲の人たちの協力を得ることが必要になるからだ。ある年の訓練で、119番通報の訓練が行われた。私も実際、会場に用意された電話機で119をダイヤルして、緊急通報する練習をした。ところが、訓練場所の電話機は自宅の電話機よりもスイッチが固く、私の手の力では、キーを押し込むことが難しかった。その様子を見ていた消防署の職員の方が「お宅では緊急通報システムを導入したほうがよいと思いますが、いかがですか?」と声をかけてくださった。その当時、私の住む自治体では、高齢者世帯のみに緊急通報システムを導入する補助が行われていた。私はそのことを知っていたので、「確か、高齢者のみの世帯が対象で、障害者がいる世帯は対象にならなかったはずですが…」と答えた。それでも職員の方は、「ダメ元で、区役所に聞いてみるなり、区に要望を出されてはどうでしょうか。あなたのように、手が不自由で電話のボタンが押せずに通報できないというケースは他にもあるでしょうから。」と言って、熱心に緊急通報システムを薦めてくれた。防災訓練から1ヶ月後、私は福祉事務所で緊急通報システムのことをたずねてみた。すると、「今月から身体障害者がいる世帯の方も対象になりましたので、河和さんでもご利用になれますよ。」と言われ、我が家でも緊急通報システムが使えるようになった。このシステムがあれば、居室にある通報装置のボタンをおすだけで、警備会社と東京消防庁に通知が送られ、迅速に救急車や消防車を手配してもらえる。緊急通報ボタンを押したあと1~2分以内に、警備会社から電話がかかってくるので、職員にどのような事態で通報したのか伝える。もし警備会社からの電話に出られなかった場合は、緊急事態だと見なされ、消防署に出動要請が入るので、万一重篤な病気で倒れた場合も安心できる。 このような体験を通して、地域の防災訓練に出席することの大事さを痛感させられた。*********## このエッセイについてこのエッセイはSNSで人気が出る文章の書き方を学ぶオンラインサロン「ふみサロ」の定例会で発表した原稿を元に作成しました。[「ふみサロ」の詳細はこちら](https://bit.ly/2Nl6ECM)ふみサロでは、課題図書を元にエッセイを書きます。## 今回読んだ本[自衛隊防災ブック(マガジンハウス 編、自衛隊/防衛省 協力)](https://www.amazon.co.jp/dp/4838730101)

視覚障害者がアート作品を鑑賞するために必要なこと

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使用している。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害があり、主に左手と左足が動かしづらく、外出時には車椅子を利用し介助者を同伴している。

重度の視覚障害がある私にとって、絵画について語ることは、とても難しい。絵を観ることは、視覚的な要素が多いからだ。

視覚障害者は目から情報を入手できないので、視覚以外の感覚を総動員して、自分の周りで起きている出来事を把握するしかない。具体的には聴覚や触覚、嗅覚などを駆使して得た情報から、何が起きているのかを推定する。

例えば、バンクシー氏、自転車で新作|TBS NEWSというウェブサイトの記事の中に、次のような説明文がある。

壁の前には後輪が無い自転車があり、少女はそのタイヤをフラフープ代わりにして遊んでいます。

私はこの説明文を聞いて、バンクシーが描いたであろう情景を頭の中でイメージするのである。

私たち視覚障害者が美術館で絵画を鑑賞しようと思えば、晴眼者(せいがんしゃ)(目が見える人)にどのような景色なのか言葉で説明してもらったり、触れる物には触って、その形を理解できるような配慮が必要になる。

College Women’s Association of Japanでは年1回、Hands-On-Artという、視覚障害者向けの現代版画展を開催している。版画の立体コピーが準備され、ガイドボランティアが版画の情景を説明してくれる。

江戸東京博物館では、バリアフリーの取り組みがなされている。視覚障害者向けの点字ガイドブックを借りられるとともに、「手で見る展示」コーナーが常設されている。

手で見る展示コーナーでは 「日本橋」や「中村座」、「神田明神の山車」など建築模型や大型模型のミニチュアを触ることができるうえ、江戸指物の木を削る音や、手回し蓄音機の演奏を聞くことができる設備(専用の受話器)が用意されている。

視覚障害者がアート作品を鑑賞するためには、さまざまな工夫が必要だ。しかし、視覚障害に対応する設備がある美術館や博物館はとても少ないのが残念である。


このエッセイについて

上記のエッセイは、オンラインエッセイ教室「ふみサロ」の合評会に提出する際に作成した物です。

「父滅」でも、物足りなさを感じなかった理由

私は母子家庭で育ったのだが、父親がいなくても「物足りない」と感じることがなかった。

父と母は、「子供が生まれたら、結婚しよう」と決めて、妊活を始めた。ところが、私が仮死状態で生まれ、かつ生後3日で肺炎を患い、危篤状態になった。このとき主治医は父に
「息子さんに80%の確率で、身体障害が残ります」
と宣告した。その事実を知った父方の両親は、母との結婚を認めなかったのだという。
それでも母は「これで、この子を私が自由に育てられるわ」と思ったそうだ。

小学5年生のときに、母から父のことを聞かされ、
「あなたが望むなら、お父さんに会わせてあげるけど、どうする?」と言われた。私が「お父さんはどうしてるの?」と聞くと、「もしかしたら結婚して、子供がいるかもしれないよ。」と母は答えた。それを聞いて、私は
「ふ~ん。それならどうせ、他人なんでしょ。だったら会わなくていいよ。」と言って、会わなかった。そこまで私は、父親がいないことに違和感をもたなかった。

どうして私が、「父親不在」であっても、物足りないと感じなかったのだろうか。これまでの生活を振り返って、母が父性を持ち合わせた性格だったことと、祖父母が母性を持ち合わせた性格だったからだということがわかってきた。

子供のころ、私の母は常識的にしてはいけないことをすると、父親のごとく「いけない!」「やめなさい!」と制したり、ときには、身体をたたいたりして、一括された時もあった。そのあとで、なぜ、叱ったのかを説明して、子供が納得するようなしかり方をしていた。

祖父は、定期的に聖路加国際病院に通院していた。通院の帰りには、わざわざ銀座三越まで行って、私が好きな冷や奴を買ってきてくれた。

「旦(ただし)の大好きな冷や奴、買ってきたぞ。」
と言いながら、私がおいしそうに冷や奴を食べているところを見るのが好きだったようだ。悪いことをして叱る母と対照的に、祖父母は無条件に甘えさせてくれた。

結局、「父滅」という状況でも、社会に適応できる人とできない人がいるというのは、子供時代に父親や母親と同じ役割の大人と出会えるかどうかで決まるのかもしれない。


このエッセイについて

上記のエッセイは、オンラインエッセイ教室「ふみサロ」の合評会に提出する際に作成した物です。

ふみサロでは、毎回課題図書が与えられ、与えられた本を題材にしたエッセイを書きます。

今回の課題図書は、樺沢紫苑著「父滅の刃~消えた父親はどこへ アニメ・映画の心理分析~」でした。

今回は、自分が母子家庭で育ったにもかかわらず、物足りなさを感じなかったため、何を書いてよいかわからない状態からスタートしました。

そこで、今まで家族とどのように過ごしていたかを振り返りながら、エッセイ形式にまとめました。

自分へのお・も・て・な・しで、ポジティブに!

 「頑張っている自分に対し、時にはご褒美をあげましょう」

 私はこの一文を読んで、ドキっとした。(もしかして、自分はご褒美をあげないぐらい、ガンバリ続けすぎてたのか?それじゃ、仕事だって楽しくないよな。)そんな、心の声が聞こえた気がした。

 どうして、私はそこまで自分を追い詰めてしまったのかというと、よい結果を出そうと、自分を厳しく律しすぎたからかもしれない。

 私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目に重度の視力障害と視野障害があり、日常の文字の読み書きには点字を使っている。肢体不自由障害の程度は脳性麻痺による運動機能障害により、外出時には介助者を同伴し、車椅子を使っている。

私は2013年に目が不自由な方むけのパソコン教室を立ち上げた。

大学卒業後、2009年の秋から就職活動をしていたのだが、結果は惨敗だった。

公務員採用試験では、障害者採用枠であっても「自力で通勤でき、介護者なしで職務遂行が可能なもの」、「活字印刷文による出題に対応できるもの」が受験資格とされていた。民間企業の面接でも、「一人で通勤できますか?」と必ず聞かれた。

私はこんな就活戦線で戦っているうちに、「仕事は、歯を食いしばってやらなければ結果は出ないもの。何が何でも、健常者と同じパフォーマンスで、仕事をこなしてやる!」と言い聞かせ、「障害を言い訳にしないよう、【仕事には厳しく】をもっとうに、取り組む」と心に決めてしまったのだ。

 「自分の体や心をもてなすことができてはじめて 人として輝くことができるのです。」

この言葉にハッとさせられた。

後藤先生とご一緒していると、いつも先生の声が楽しそうに聞こえる。その秘密は、ポジティブな自分を作れるようにする習慣を作っていらっしゃるからなんだなと感じた。

私は、後藤先生のように「まず自分がポジティブな気持ちになり、クライアントの心も元気にするべく、仕事をする」を、これからの目標にしようと決めた。

今回読んだ本

これからの医療体制に期待すること

「うわあ~、河和さんの歯、虫歯が1本もないし、治療痕もどこにもありませんね!!素晴らしいですね!!」

6年前、白内障の手術を受けるのに麻酔科の予診を受けたとき、看護師がとても興奮しながら、私の歯を診てくれた。それどころか、麻酔科のドクターまで呼んできて、「河和さんの歯、素晴らしいですよ!虫歯も治療痕も1本もないんですよ」と言っていた。

私は褒めてもらえて嬉しかった一方で、「もっと短時間できれいに歯磨きできたらよいな。でも、歯磨きが雑になったら意味がないし…」と思ってしまった。どうして私はそのようなことを考えてしまったのか。

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目は重度の視力障害と視野障害がある。肢体不自由障害の程度は、脳性麻痺による運動機能障害により、外出時には車椅子を使っている。

私にとっての課題は、肢体不自由の影響で、歯ブラシを上手に動かすのが難しいということだ。

介助者なしでも歯ブラシを動かす動作自体は可能なのだが、手の筋肉が過剰に緊張するので、歯と歯茎の間を磨くなど、手先を細かく動かす作業が難しい。このため、介助なしできれいに歯を磨くと、30分ぐらいかかってしまう。電動歯ブラシも試したが、同じ所にブラシを当てすぎてエナメル質が削れてしまったので、使うのを止めた。

肢体不自由者の口腔ケアをしっかりと行うためには、どのようなサポートが必要だろうか。

そのためには、障害者がクリニックに通いやすくする施策を拡充してほしいと思っている。

昨年、区民検診のために訪れた歯科クリニックは、待合室と診察室の間に段差が一段あったが、スタッフが車椅子用スロープ板を渡して、サポートしてくれた。このようなサポート体制が整ったクリニックが、もっと増えてほしいと感じている。本音を言えば、歯科だけでなく、内科系のクリニックのバリアフリー化にも力を注いでほしいと願っている。

「想定外をつぶすことの大事さ」というエッセイでも紹介したとおり、介護ヘルパーの中には外出介助が苦手な人もいる。介助者が高齢化している等で、障害者を車椅子から診察台に移動するときに障害者を支えきれない、ということも起きるかもしれない。

障害者本人、介助者双方の負担を軽減させるため、ソフト面、ハード面ともにバリアフリー化された病院が増えることを期待したい。

今回読んだ本

視覚障害者が克服すべき課題【文字処理について】

昨日は私が通っている文章書き方教室「ふみサロ」の定例会でした。

ふみサロでは、毎月課題図書が与えられ、課題図書をテーマにエッセイを書きます。

今回の課題図書は、甲斐ナオミ先生が書かれた、「ネイティブの“こども英語” で 通じる英会話【無料音声付き】」です。

本来は英会話をテーマにすべきなのでしょうが、この本の点字化が間に合わなかったときに備えて、私が英語学習で躓いたときの経験を、エッセイにまとめました。

英語点字学習を通して、視覚障害者の文字処理能力について考える

私は、気がついてみたら英語に苦手意識を持ってしまった。中学生~高校2年生までは英語が得意科目で、高校2年で英検準2級まで合格できた。

ところが、英検2級の勉強に入る時点で、「英語スランプ」状態になってしまった。その状態からいまだに脱出できていない気がする。それはどうしてか、自分なりに考えて、導き出された仮説は、点字を使用する視覚障害者が直面する、文字処理に起因する課題ではないかと考えた。

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害がある。日常の文字の読み書きに点字を使っている。肢体不自由の程度は脳性麻痺による運動機能障害のため、外出時には車椅子を使っている。私はこのような障害を抱えながら、小学校は盲学校に通い点字や視覚障害を克服する教育を受けながら定期的に(週1回~学期に1回)地元の小学校に通っていた。中学、高校、大学は一般の学校で学んでいた。

一般学校で学ぶ中で苦労したのが、点字の表記法と、墨字(すみじ)(通常の活字)の表記法の違いを理解することだった。特に英語には、初心者向けの1級点字(grade 1)と刊行物等で用いられている2級点字(grade 2)があり、日本の盲学校教育では中学卒業までに原則2級点字を習得することになっている。このため、英検3級以降の点字問題は2級点字で出題される。

2級点字とは、点字の読み書きを素早く行うために単語の一部または全部を省略する記法である。例えばYou can do it. を2級点字で書くと、Y c d x. となる。

一般の学校で学んでいた私は、学校の英語の試験では点字を知らない晴眼者(せいがんしゃ)(目が正常に見える人)の先生に墨字の答案を書くために、1級(フルスペル)を覚えなければならなかった。なおかつ点字教科書や公的な試験(英検や高校、大学の入学試験)の英文を読むためには2級点字の略字のルールを覚えていなければいけなかった。

私は学校で英検2級合格に向けて、先生から補習授業を受けていたとき、1級点字と2級点字の表記上のルールの差で混乱してしまった。

学校のパソコンでは2級点字で辞書が引ける環境ではなかった(普通高校にいたので、盲学校のように点字の辞書がなかった)。ところが教科書と試験問題は2級点字の略字で書かれている。そのため先生に、「辞書でわからない単語を調べてみなさい」と言われても、先生の前でフルスペルを思い出せず、辞書を引けずにフリーズしてしまったのだ。たとえばnecessaryという単語を2級点字にするとnecになる。点字の分を読んでいるのでnecが「ネセサリー」だとわかるのだが、肝心のフルスペルnecessaryを思い出せないので、辞書を引けなかったのである。

ICT機器の活用により、視覚障害者と晴眼者の垣根を越えてコミュニケーションが可能になった。だが、点字を使う視覚障害者には、点字と墨字の両方を使いこなすスキルが求められる。そのために一般の学校、盲学校、視覚障害者向けの職業訓練校や就労支援センター、障害者向けのパソコン教室などで、視覚障害者の文字処理能力を養うカリキュラムを充実させることが必要だと考える。

今回読んだ本

もっとバリアフリーな施設作りを

障害があっても、のんびり温泉に入りたい。そのように考えている障害者は多いと思う。
しかし、実際は宿泊施設や入浴施設のバリアフリー対応が十分でないために、旅行や入浴施設の利用を諦めてしまうケースがある。

私には重度の視覚障害と肢体不自由の重複障害がある。視覚障害の程度は未熟児網膜症により右目は失明、左目にも重度の視力障害と視野障害があり、文字の読み書きには点字を使っている。肢体不自由の程度は脳性麻痺による運動機能障害により、左手と左足が不自由である。そのため車椅子を利用し、介助者を同伴して外出している。

小学生時代は、学校の長期休みに盲学校に通っている幼なじみの家族同士で集まって、温泉旅行に行ったり、夏休みにプールに遊びに行ったりしていた。小学校低学年の頃は母親の介助で大浴場に入ることができていたが(親子とも女性用浴場を利用)、小学5年頃になると、さすがに男性の障害者を女性の浴場に入れて介助するのは難しいという話になった。

ホテルの従業員に母たちが、「視覚障害や肢体不自由の息子たちと泊まるのですが、息子たちが大浴場に入るときに、介助をお願いできませんか?」と交渉しても、「介護経験があるスタッフがおりませんので、万一息子様がけがをされた場合に責任がとれません」と言われ、介助を断られてしまった。

そこで、母子家庭の我が家のために、友人のお父さんに、わざわざ仕事を休んで旅行の介助に来てもらった。家族用に貸し切れない入浴施設では、障害者と同性の介助者が確保できないと、このような困りごとが発生するのである。

大学2年生の夏休み、私は家族旅行に行った。いつもは別荘でのんびりするのだが、そのときは温泉に入りたい気分になった。そこで伊豆熱川の貸し切り露天風呂がある日帰り温泉に行った。前述のとおり、私の家庭は母子家庭であるため、必然的に介助者が異性になるからだ。

家族向けの貸し切り露天風呂があるのはありがたいと考えて、いざ温泉に向かった。ところが…、残念ながらその考えが甘かった。露天風呂の貸し切り時間が1組40分ほどに設定されていて、温泉でのんびりしている余裕がなかったのだ。初めて使う入浴施設なので視覚障害と肢体不自由がある私には更衣室の脱衣かごの場所がわからなかったり、座り慣れていない着替え用の椅子ではバランス(座位保持)を保つことが難しかったり、浴槽の段差や躓きそうな物を目で見られないので慎重に歩いたりしたので動作に時間がかかり、温泉でまったりする精神的な余裕がなかったのだ。

宿泊施設でも、バリアフリー化に力を注いでいる所は少しずつ増えてきている。ホテルや旅館の一部ではユニバーサルルームなどの名称で、車椅子で過ごしやすい広いスペースを確保し、入り口のドアも引き戸、ユニットバスも車椅子対応に広くなった部屋もある。

京王プラザホテルに泊まった全盲の友人からは、「バスアメニティを触って区別できるようにシャンプーには輪ゴムを2本、コンディショナーには輪ゴムを1本、ボディソープには輪ゴムを付けないという風にしたうえで、ボトルの蓋に点字シールも貼ってくれたよ。それから、ビュッフェスタイルの食事のときに、スタッフさんが料理の取り分けを手伝ってくれたので、スタッフさんには申し訳ないなと思いつつも、楽しく食事ができたよ。」という話を聞いた。

このような障害者対応のサービスは、障害者本人のためにも、介助者の負担を軽減させるためにも、もっとたくさん必要だと感じている。

このエッセイについて

このエッセイは、SNSで好感度が上がる文章の書き方サロン「ふみサロ」の10回目のレクチャーを受講する際に作成した物です。

今回読んだ本